2020年11月26日(木)

「すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて打ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った」Tサムエル20:33



サウル王は、最初ダビデが大変気に入り、召しかかえた。ダビデは
大変忠実にサウルに仕え、勝利を重ねて行った。そんな時、女たち
の「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との言葉で、サウル
は妬みにとりつかれ、ダビデを疑心暗鬼で見るようになった。ダビ
デへの嫉妬は憎しみとなり、それは殺意にまでなって行った。罪は
罪を増幅させて行く。

ダビデを狙って、槍を投げつけたが、壁に突き刺さり、主がダビデ
を守られた。ダビデはますます大勝利を収め、サウルは更に恐れた。
ダビデはずっとサウルにつけ狙われたが、決して報復しなかった。
それはサウルが油注がれた王であり、ダビデが主を畏れていたため
だった。何があっても、主が必ず自分を守って下さると堅く信じて
いたので、自分で自分を守る事をしなかった。

しかしサウルは、ダビデに地位を奪われるのではと、非常に恐れて
怯えた。そして息子ヨナタンがダビデをかばうと、何と息子までも
槍で殺そうとする。どうしてもダビデを殺害したかったようだ。ヨ
ナタンは父親の固い意志を知り、ダビデの命を助けるように行動し
た。ヨナタンを用いて、ダビデの命を守られたのは、主だ。

人の生き死に、地位、境遇は「高く上げることは、東からでも、西
からでもなく、神が」の通り、すべてが主の絶対的な主権と、御心
の中にある。その主を認め、主に自分自身を委ねて歩む時に、真の
安らぎと満足に生きる事ができる。
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ダビデは逃げてはいても、いつも神から糧を与えられた。私たちも、
いつでも神に逃げていける。神の主権を認めて生きよう。様々な心
配事に追いかけられても、その先に神を見る事ができる。