2021年04月26日(月)

「あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしの ように、新しくなる」詩編103:5



私たちは、主を信じて以来、祈る事を教えられ、祈る恵みにあずか
っている。主に祈り求め、数えきれない祈りが答えられた事を、感
謝している事だろう。同時に、答えられなかった祈りも多く経験し
て来た。そして、振り返ってみた時に、答えられなかったあの願い、
この願い・・答えられずに良かったという事を見い出す。

あの時、この時、自己中心なあの願い、この願いに、その通りに答
えられていたら、どんなに方向違いの、間違った道に行っていただ
ろうか。私たちは、目先の事しか見えないし、肉の思いも、欲も強
く、自分の真の必要をわかっているわけではない。どうしても自分
軸で、自分を中心に物事を見てしまうので、正しく見えていない。

あの時、あの祈りが答えられていたら、自分はどんなに高慢になっ
て、恐ろしい事になっていただろう。道が閉ざされた事で、心砕か
れ、へりくだらされ、高慢になる事から守られた。むしろ素晴らし
い益で、良い事であった。主に拠り頼むようにされた。思い通りに
なっていたら、どうなっていたかわからない。

自分はこれが、あれが、絶対に最善と思うが、目の前の美味しい草
をあさって迷子になる羊のごとく、目先の事しか見えていない。主
は、遙か先まで何もかも見通された上での最善を用意して下さって
いる。
自分の思う最善でなく、主が思われる最善を求めて行けたらどんな
に良いだろう。自分の思いを横に置いて、主のみ思いを求めてみよ
う。主が下さるものは、どうであれ、常に良いものだ。

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色々な人々が、願いの道が閉じられて、高慢から守られたと言う。
思い通りの人生なら、どんなに高慢で、恐ろしい事になっていたかと。
閉ざされたのは、良い事だったと。自分の思う良い事と、主の良い
事は違う。主は良いものしか与えられず、良いもので満たして下さる。