2021年07月27日(火)

「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにし て、成熟を目ざして進もうではありませんか」へブル6:1


堅い食物は大人の物であり、経験により良い物と悪い物とを見分け
る感覚を訓練されると言っている。クリスチャンにとっても、願い
が叶うことは、大変嬉しい事であり心地よい。辛い、苦しい事は避
けたいし、好きではない。思い通りの事態は大歓迎で、思い通りで
ない事柄はなかなか受け入れ難い。

しかし、思い通りでない事態により、私たちは練られ、鍛えられ、
大きく成長して行く。振り返る時、どうだろう。どうにもならない、
瀬戸際のギリギリの状況の中で、全身で主を叫び求めたのではない
だろうか。主に向かって心の底から叫び、拠りすがる事によって、
一歩一歩成長が与えられて来た。

言える事は、信仰人生で霊的成長を望むなら、痛い事を決して逃げ
るな、避けるな、という事だ。様々な痛み、苦しみによって、霊的
な感覚が訓練されると言っている。つまり霊的な感覚が鍛えられ、
養われ、培われて行くのは実地訓練、経験によると言われる。苦し
みの中で、あがき求める中で、御霊からのもの、悪魔からの誘惑、
肉の思い、これらのものがクリアにされて行く。

そして実地訓練によって、悪魔の働きを識別して行く事を学んで行
ける。経験によって身について行く。今までわからなかったものが
見えて来るのだ。頭の理解でなく、身をもって通る事によってだ。
苦しみを通して、見分ける感覚が鍛えられ、研がれて行く。霊的成
長を願うなら困難から逃げずに、主の取り扱いにあずかる時、一段
階、一段階、成長へと導いて下さる。

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「堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物を
見分ける感覚を訓練」されると言っている。霊的な識別力を養われ
るためには、経験が不可欠だと。様々な苦しみや痛みを通して、成
長、成熟させて下さる。主と共に受け止めて行けるよう祈ろう。