2021年11月26日(金)

「兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』など とどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではあ りませんか」マタイ7:4



相手に非があり、もめ事が起きた場合どうだろう。「あなたが間違
っている」と、相手の目のちりを除こうとすると、事は悪化し、ぐ
じゃぐじゃになる。経験ないだろうか。「そう言う、そっちこそど
うなんだ」と反撃が来る。相手のちりを見つけた時こそが難しい。
実は、まずこちらがへりくだる事だ。

御霊に導かれ、自分をよくよく省みて、自分にも反省すべき点がな
いか。言い過ぎは無かったか、悪い態度は無かったか、高ぶりは無
かったか、御霊に照らされる事が大切だ。御言葉は、自分の目の中
に梁があると言っている。「おのおの自分の行ないをよく調べてみ
よ」と。「誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、他の人
に対して誇れることではない」と。

へりくだって、自分を省み、「まず自分の目から梁を取りのけ」る
なら、はっきり見えるようになると言っている。そして、愛によっ
て、相手のちりを取り除く助けができると。目は非常にデリケイト
で、触れようとした瞬間、閉じる。不用意に、祈りもなしに、霊的
整えも無しにできる事ではない。

梁は大きな材木、ちりは見えないほど微少のほこりだ。裁く心が大
きな材木だ。相手が悪いと思っているが、実は自分の思い通りでな
いから、裁いている事もしばしばだ。愛とへりくだりが無ければ、必
ず事態を悪くする。まず主の御前で自分の内を御霊に探って頂こう。
そうする時、整えられて、御霊により、相手のちりを取り除くため
に、用いて下さる。
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相手の非を見つけたらそれが気になり、いつの間にか自分は正しい
に立ってしまう。そんな自分に真実が見えているのだろうか。主の
前にへりくだり、自分自身を吟味したい。