2022年10月27日(木)

「・・また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができ るよう、あなたがたのために祈りに励んでいます」コロサイ4:12



私たちには、各々に一生が与えられている。しかし主の御心にそっ
て、人生を歩まなければ、せっかくの人生が的はずれなものになっ
てしまう。人生における御心を求め、導きを受け取り、従って行く
事が信仰生活で重要な事柄だ。

多くの悩みや問題の中で、自分の思いが強いため、つまり自我が強
いため、御心を受け取り損ねているだろうか。自分の強い思い、願
望が御心を知る事をさえぎってしまう。強い自分の思いがあると、
なかなか御心がわからない。無意識に自分の思い通りへと進んでし
まう。

自分の思いに合致する御言葉を取り入れ、思いに反する御言葉は退
けてしまう。まず右でも左でも白でも黒でも、御心のままでOKで
すと、自分を明け渡す時、9割方解決だ。意志を明け渡して行く
時、主は御心は示して下さる。なぜなら導きが無ければ、どう進ん
で良いかわからない。そして主は導きの主だ。

よく祈り、御言葉に向かい、環境を見張っていよう。重大な決定に
ついては、指導者に祈ってもらい助言を求める事は有益だ。ある人
は家族が重病発覚でうろたえる中、パニックだった。しかしいつも
教えられている通り、まず主のもとへ行った。自分の思いも、気持
ちも、状況も洗いざらい主に告げて、すべてを主に明け渡した。

続けて祈っていると、不思議に情報があちこちから集まり、具体的
な入院手術に至るまで、主に手を取り導かれたと。先を見通し、す
べてを存じの主が共におられる。委ねて、目の前に示される一歩に
従おう。するとまた次の一歩が示される。
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主の御心を確信して立つよりも、自分の確信を主に伺い、ああして
ください、こうしてくださいと祈ることがある。もしかすると主の
御心に敵対してしまう。心を空白にして祈ろう。