2022年12月27日(火)

「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 という一語をもって全うされるのです。」ガラテヤ5:14



人類愛、全世界を愛するのは簡単だ。抽象的、観念的な頭の中だけ
の愛なら、幾らでも愛せる。全人類は愛せるが、目の前の難しい一
人を愛する事ができない。どれだけ頑張っても愛せない。愛せない
というより、憎む相手を決して愛したくない自分を知る。頑固な強
い自我に阻まれる。

幾ら頑張っても愛せないので、まずその事を主の御前に認めること
だ。ある人が、職場に、どうしても嫌な相手がいた。心は悶々とす
る。こんなに辛いなら、職場を辞めようかと思うが、この場は逃れ
ても次の職場に、必ず別の「あいつ」がいる。逃げる事はすまいと
思った。しかし、相手を「愛せるように」と幾ら祈っても、祈りが
聞かれない。

ある時、祈っていて自分の本音に気づかされた。「決して愛したく
などない」のだと。自らの本音を主に告白した。その時から、祈り
が聞かれる事を経験した。急転直下愛せたわけではないが、一つ一
つと具体的になすべき事を示され、それに主の助けのもと従って行
くと、段々と自分が変えられて行った。

すると、不思議に感情も少しづつ変えられて行った。どうしてあん
なに嫌だったのだろうと、思えるまでになった。愛と好きとは違
う。御言葉は愛せよであって、好きになれとは全く言っていない。
私達は感情はコントロールできない。しかし、意志はコントロール
できるように造られている。

意志で愛すること、つまり感情は横に置いて、行為はできる。「決
して愛したくない」と、自分に愛の無い事を、御前で認めているの
で、偽善にならない。意志で行動して行く時に、感情は後からつい
て来る。
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ひとこと言葉を交わすと心が変わっていける。愛したいと意思を向
け行動できるように祈ろう。具体的に行動しなければ、自分がいか
に愛せないかさえわからない。御心にそって歩みたい。