2023年02月24日(金) 「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリスト から離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ5:4
「律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリスト から離れ、恵みから落ちてしまったのです」ガラテヤ5:4
人間には、主から良心が与えられている。その良心は、罪を犯すな ら、とがめが来る。罪責感が苦しいので、無くなって欲しい。その ために善行をする。善い行ないで、プラスマイナスゼロにして、と がめを消してしまいたい。人を傷つけた時に、良心のとがめが来 る。 その時、平安が無いので、親切な行ないで穴埋めをする。これで良 心のとがめをなだめて、良しとする。時々あるだろうか。しかし、 これは極めて自己中心だ。自分のために、良心のとがめを無くした いだけで、主への愛や、相手への愛などまるで無く、発想も無い。 ある人は犯した罪に対するとがめから、懸命に奉仕したり、献金し ている自分に気づいた。主のために懸命に奉仕して、罪滅ぼしを し、自らの善行で、心をなだめて、偽りの平安を得ようとする。人 は気づかずに、これを繰り返している事がある。そうであれば、主 の十字架は全く必要ない事で、無意味になってしまう。 そうでなく、主の血潮によってのみ、罪は赦され、良心はきよめら れ、どんな時も恐れなく御前に行ける。ただ主の血による。どうだ ろう。主の血に頼っているだろうか、それとも自分のわざに頼って いるだろうか。 自分のわざなら、キリストの死は無意味になり、いたずらに死なれ たことにしてしまう。主の十字架の死を無駄にする事になる。罪 を、善行で、帳消しにするのでなく、絶えず主の十字架のもとへ行 こう。そして主からの真の平安を頂こう。 ------------ 主の十字架によって罪は赦された。実際の生活の中でこの確信に留 まる歩みしかできない。過去の罪のとがめは来るが、その度に十字 架の恵みを感謝していこう。