2023年09月26日(火)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられた からである」ヨハネ6:6



男だけで五千人、女と子どもを入れると、遥かにそれ以上の大勢の
人々を前にして、主はピリポを試された。ピリポに、空腹の人々
に、食べる物がない、「どこからパンを買って来て、この人々に食
べさせようか。」と問われた。ピリポは、現状について頭で計算を
した。答えは「不足・だめ」だった。めいめいが少しづつ取るにし
ても、手持ちでは足りないと。

アンデレも、あるいは、主が何かして下さるのではと思い、何か持
っている人を探し回った。少年の小さなお弁当があったが、しかし
こんなに大勢に、こんな小さな物では、焼け石に水だ。だめだと思
った。大勢の群衆、食べ物が無い、手持ちも無い、このような状況
で、しかし主はすでに「ご自分ではしようとしていることを知って
おられた」。

すでにご計画があられた。これは何と心強い事だろう。あなたが、
今、このような追い詰められた、瀬戸際の状況なら、主はすでに方
法を持っておられる。しようとする事があられる。その上で、主
は、私たちに信仰を求めておられる。「信仰がなくては、神に喜ば
れることはできません」主が喜ばれるのは、信仰だ。信仰を献げよ
う。

「小さな」ものを用いて下さる。五つのパンと「小さい」魚を二匹
だ。焼け石に水に思える。何になろうか。今、新しい歩みに招かれ
ているだろうか。自分が小さな者に思えるなら、主は「小さな」者
を用いられる。一番肝心な事は、その「小さな」ものが、主の手に
渡っているかどうかだ。主はそれらを用いて、奇跡をされる。 
---------------
どうせ駄目だろうと止めてしまったあの事この事。主に持って行き
献げたならどうなっていただろう。主にはご計画があり、主にあっ
てする事に無駄は一つもない。主に委ねられるように祈ろう。