2024年01月27日(土) 「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですが。 ここにはおられません。よみがえられたのです。」ルカ24:5
「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですが。 ここにはおられません。よみがえられたのです。」ルカ24:5
主が葬られた墓に、女性たちが香料を持って来た。すると、大 きな石が墓に立てかけられていたのだが、それが転がされて いて、中に、主の遺体が無かった。彼女たちが。途方に暮れて いると、そこに御使いが現われ、主がよみがえられたと告げた。 「ここにはおられません」と。 「ここ」とは、墓の中で、死人を葬る場所だ。主は、死人の中に はおられないと。死から、よみがえられたからだ。私たちは「生 きている方を死人の中に捜し」ていないだろうか。あたかも、主 に力が無いかのように、死人であるかのように、主を横に追い やり、「自分が、自分が」と自分の力で信仰生活をやりくりして いないだろうか。 決してうまく行かない。すべてが自分の肩にかかるので、重圧 で苦しくてたまらない。焦り、いら立ち、思い煩い、恐れ不安で、 疲れ果ててしまう。まるで主は生きておらず、死んでおられる かのようだ。自分が、やり遂げなければならないかのように。 墓とは、人が主イエスの遺体を葬った所だ。 人が、主に対して、して差し上げた場所だ。しかし、その所を打 ち破って、よみがえられた。もう「ここ」にはおられない。よみが えりとは、主が全主権を握られ、主の支配によって、事がなさ れる場所だ。 今、まさに生ける主であり、私たちが主のためにではなく、逆で、 主が、私たちのためにわざを成して下さっている。生きて働か れているのだから。よみがえりの主のいのちは、今日の信仰生 活に生き生きと溢れ流れている。そこには喜びと平安が満ちて いる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分が、自分がと、まるで主が死んでおられるかのように、自分 の知恵、力で、自分が事に当たる。自分が主を助け、支えるか のようだ。そこに主はおられず、主を離れては、実を結ぶ事が 無い。内に生きていて下さる主を絶えず覚えよう。