2024年02月25日(日) 「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。 あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」 ヤコブ4:1
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。 あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。」 ヤコブ4:1
人間の欲望それ自体は悪ではない。食欲が無ければ死んでしまい、 知識欲は御言葉を知りたいと願い、様々な意欲は生きる原動力だ。 しかし反面、欲望はコントロールが効かなければ、容易に罪に傾 いて行く。欲しいと思うと、自制が効かず、何が何でも持ちたく なる。人と戦ってでも得ようとし、自分のものにならないなら、 人殺しまですると。 それほど、欲望とは貪欲で強烈だ。しかし、願うものを手にでき ないのは、「あなたがたが願わないから」とあり、主は私たちに、 欲しいものがあるなら、主に求めて祈れと言われている。自力で 奪い取るのでなく、主に願えと。主が与えて下さるとは、何と喜 びであろう。「すべての良い贈り物は、上から来る」と。 そして主と交わり、祈りを重ねる中で、それは本当に自分に今、必 要なのかがわかって来る。神から離れたこの世では、人は欲望のま まに生きる。「私たちもみな・・自分の肉の欲の中に生き、肉と心の 望むままを行ない」と。しかし主との交わりの中で、自分でもわか らなかった、心の底の本当の願いや、本当に必要なものが、わかっ てくる。 ある人は、進路について自分の願いがあり、主と交わり祈りを続け ている中で、それは人の目を意識し、賞賛が欲しくて、願っている 事だと気づかされた。本当の願いでは無いと。そして自分の本当の 気持ちは、そうでなく、主に喜ばれる選択をしたいという事だとわ かった。平安ある進路変更に導かれた。祈るなら、時に自分の思い と異なるが、必ず「良いもの」を下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・ 祈り続ける中で、時に自分でも気づかなかった動機に気づかされる。 動機が間違っていると、みこころとは反対方向へと向かってしまう。 祈りの中で、間違った動機を正して下さり、みこころにかなった祈り へと導いて行って下さる。