2003年03月27日(木)

「しかし、満ち足りる心を伴なう敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」(Tテモテ6:6)


 満足の罪がまんえんしている。
自分の仕事、自分の家庭、自分の収入、
自分の住居・・に満足が出来ない。
隣のサラリーマンがよく見え、専業主
婦は働きたいと思い、働く主婦は専業
主婦を羨む。隣人の他のものがいつも
良く見える。自分の持っているものに
満足する事が出来ない。心はいつも虚
しく不満で他人が羨ましい。パウロは
どんな境遇でも満ち足りることを学ん
だ。境遇や環境、状況の問題ではない。
貪欲は持てば持つほど、ますます貪る
ように境遇がどんなに良くても満足す
る事が出来ない。境遇でなく心の問題
だ。まず不平不満は罪だと認め、心が
変えられる必要がある。
神の恵みによって初めて、私達はどん
な境遇でも満ち足りる事が可能だ。
満足を与えて下さるのは神だからだ。
心を満たす事が出来るのは神以外にな
い。