2025年01月27日(月)

「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。し かし今は、あなたのことばを守ります」詩篇119;67  


 

信仰人生にも、様々な問題がき起きる。問題や悩みは、誰しもいや
なものだ。できるだけ、痛い目には会いたくない。できれば、避け
て通りたいし、出来る限り順境であって欲しい。平穏な日々が、私
たちの心からの望みだ。しかし、御言葉はそう言わない。正反対の
ことを言う。「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
しかし今は、あなたのことばを守ります」

「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれで
あなたのおきてを学びました」。一見、苦しみに会うと、あやまち
を犯すふうに思う。だから、平穏でいたい。しかし、逆で、苦しみ
に会う前は、あやまちを犯したと言っている。つまり、苦しみを通
ったからこそ、あやまちから守られ、御言葉に従い、御言葉を守る
者とされいると。

そして、苦しみに会ったことがしあわせだったと言っている。私た
ちは、苦しみに会うことは、不幸だと思っている。しかし、信仰人
生で一番神に近かった時は?との問いに、皆が、試練だった時、苦
しかった時、と答える。あんなに主に近い時は無かったと。これは
苦しみにより、主に頼り、拠りすがる者とされる。

真剣に、本気で、主に向かい、切に御心を問い、自らの本当の姿を
照らされる。普段順境の時には、決して知ることのない、自分の不
信仰や、エゴに気づかされる。悔い改めて、新たにされる。そして、
主との交わりが深められて行く。これこそが、一番の幸いだ。
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試練の時は、一息一息が祈りながら通るようだ。小さな事にも主の
慰めを認め、御言葉を思い起こさせてくださる御霊の励ましを受け
る。何と主に近づけられる事だろう。