2025年03月27日(木)

「この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て 来る愛を、目標としています」Tテモテ1:5



ある人が、友人と議論になり、言い争いになってしまった。自分は
正しいと思うので強く主張してしまい、それは相手を否定する事に
なってしまった。気まずい嫌な空気のまま別れた。帰宅するが平安
が無い。心はどんより重い。しかし自分は正しく、相手が間違って
いるとしか思えない。だが、全く平安は無い。

教会の奉仕の準備をせねばならず、重い心のまま、とりかかろうと
するが、出来ない。どうしても出来ないので、主の御前に行き、祈
った。その日の出来事も、重い自分の気持ちも、あるがまま主に告
げて行った。洗いざらい感情も吐き出して祈っていると、段々、不
思議に心が落ち着いて来た。冷静になって思い返した時、自分は正
しく、相手が一方的に間違っていると思っていたが、自分にも非が
ある事に気づいた。

まず言い方が悪いし、態度も悪かった。自分を正しいとし、相手を
どんなに傷つけた事だろう。そして何よりも一番に、愛が無かった
事に気づかされた。「この目当てを見失い、わき道にそれて無益な
議論に走り」の通りだ。議論になると、相手に負けたくない、勝ち
たいと思ってしまう。自分の非を御前に悔い改めた。

そしてすぐ相手にも電話をして、詫びた。すると相手は快く受け入
れてくれて、自分も言い方が悪く、つい感情的になってしまったと
謝ってくれた。心すっきりし平安が戻り、喜びが戻った。奉仕の準
備が出来た。どんな時も主のもとへ行こう。正しく、御心へと導き
返して下さる。
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自分を正しいとしたい時には、主の御心から遠く離れていないか気
をつけたい。きよい心と正しい良心・・は御霊に導かれなければ自
分の内にはないものだ。祈り主の下に行こう。