2001年02月22日(木) 「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、叫びをお聞きになり…私の口に新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」(詩篇40:1)
「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、叫びをお聞きになり…私の口に新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」(詩篇40:1)
ここはダビデが待たされた時のことを言っている。 しかし、心に新しい歌を持って振り返った時、待つのにも大きな意味があることを彼は悟った。 私達も混乱の中にあるとき、右往左往せず、忍耐を持って 主を待つことが重要だ。そんな時、私達のすることは、主を待つことだ。 頭では良くわかるが実生活ではどうか。 なかなか待てない。三十分仕上げの写真屋に駆け込んだり、一時間仕上げのクリーニングが重宝だったり、ファーストフードで食事をしたり、 「待つ」ほど難しいことは無い。 夕食は電子レンジ、即効薬を飲み下す。手紙など遅すぎて、ファックス でもイライラする。物事だけでなく、自分本位な人に忍耐するのも 難しい。静かに主を待つことはもっとも難しい。忍耐は成長への神の ご計画だ。あなたが忙しくて急ぎ過ぎて、イライラしているなら、 ペースを落せ。神はあなたに新しい歌を与えてるださる。 自分自信に追いつくために座して神を待て。