2026年07月27日(月) 「すると、農夫たちは、その子を見て・・『財産を手に入 れようではないか』そして彼をつかまえて、ぶどう園の 外に追い出して殺してしまった」マタイ21:38
「すると、農夫たちは、その子を見て・・『財産を手に入 れようではないか』そして彼をつかまえて、ぶどう園の 外に追い出して殺してしまった」マタイ21:38
「ぶどう園と農夫」のたとえ話だ。主人がぶどう園を造 り、垣を巡らし、酒ぶねを堀り、やぐらを建てた。何も かも準備し、農夫たちに貸して旅に出た。収穫が近づき、 主人は自分の分を受け取ろうと、しもべ達を遣わした。 ところが、農夫達は、そのしもべ達を袋叩きにし、殺し、 石で打った。すると主人は、次に尚も多くのしもべを遣 わしたが、同様にした。主人は、自分の息子なら敬うだ ろうと、息子を遣わしたところ、何と、農夫達は財産を 奪おうと、その息子を殺してしまった。 この主人は神で、息子はイエス・キリストで、農夫は祭 司長律法学者たちで、しもべは預言者たちだ。祭司長パ リサイ人たちは、このたとえ話を聞いた時、自分たちの 事を言われている事に気づいた。それで主を捕らえよう としたが、群衆を恐れた。 肉の性質はどうだろう。間違いを指摘された時に、へり くだってそれを認め、悔い改めるのでなく、むしろ反対 に、過ちを認めず、腹を立て、相手を攻撃して行く。彼 らは激怒で、主を何とかしようとしたが、群衆の反発を 恐れて出来なかった。罪の性質は、過ちを認めたくない。 認めるなら、自分が崩壊してしまうように感じる。 赦しが信じられないからだ。そのため自分を正当化し続 ける。自分を義としてしまう。しかしそんな自分のため の十字架であり、十字架による赦しがある。もし、赦し が頭だけで、受け取れていないなら、そうできるよう祈 ろう。祈りは必ず答えられる。 ------------- いつでも主に立ち返るチャンスを与えられているのに、 自分の義を立て主張してやまない肉がある。主の十字架 の恵みにより罪を赦されて、解放されて歩みたい。