2026年08月27日(木)

「いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この 世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、 実を結ばない人のことである」マタイ13:22


種蒔きのたとえで、種はみことばで、土地は私たちの心
だ。いばらの中に落ちた種は、みことばを聞いて芽が出
るが、いばらも伸びて、成長をふさぎ、実を結ぶ事がな
かった。「この世の心づかい」と「富の惑わし」がみこ
とばをふさぐと。私たちの心が満たされない時、「この
世」を求め、「この世」を握りしめ、しがみつく。

この世のもので、心を満たそうとする。人に良く見られ、
認められ、評価されたい、良い人であろうとして、人に
しがみつく。又、心を満たそうと富を握りしめる。富に
はサタンが強く働いてくる。富が私たちを幸せにし、夢
を実現し、生活を保障してくれると思い込む。

そして又、富とは、自分にとっての「宝」であり、名誉、
地位、仕事・・心の満たしを求めて、ますます執着し手放
さない。そうしていて気づかない。それは自分にとり命
なので、自分の力では明け渡せない。しかし主はあわれ
んで下さる。決して見捨てられずに、愛をもって導かれ
る。そのために試練を与え、愛する者を懲らしめられる。

懲らしめは愛だ。辛く苦しい状況の中で、初めて真剣に
主を求め、御心を求め、自らの状態を探り考える。主は
気づきを与え、成長をふさぐいばらを、引き抜けるよう
にして下さる。自分自身をゆだねて行けるようにされる。
試練は、主に向く事ができるための、主の愛だとわかる。
豊かに実を結ぶ者とされる。
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この世の心づかいが上手く行くために祈ってしまう。成
長をふさいでくるいばらに気づき、委ねていきたい。も
う一度、点検し引き抜いてしまおう。