2003年11月26日(水) 「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」(マタイ26:42)
「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください」(マタイ26:42)
主イエスは十字架につかれる前に祈 られた。その祈りは最初は「できますな らば、この杯をわたしから過ぎ去らせて ください」だった。 しかし、わたしの願いではなく、みこころ の通りにと祈られた。祈りが変わって行 き、飲まずに済まされぬのでしたら御旨 の通りにと。十字架を負うとは、自分の 願いを捨てて神のみこころに従う事だ。 主が父のみこころに従って行かれたよ うに。自分の思い通りにならない状況を 受けいれる事だ。 自分を捨てて日々自分の十字架を負い わたしについて来なさいと言われたよう に、それは日々の事だ。日毎に自分の 思いを捨て、みこころを行い、自分の思 いとは違う状況を受け入れ続ける事。 そこに真の平安を見出す。