2001年03月27日(火)

「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか」(ゼカリヤ4:10)

 
ある人が著書の中でこう言っている。
「神の目から見れば、小さい人も小さい場所も無い。
自分の事を小さいと思う人も、もしキリストに捧げ
て全生涯を神の主権の元で生きるなら、神の恵みに
よって、時代の流れを変えるかもしれないのだ」
自分の小さな働きが無意味だと思う事は、労働者も
学生も主婦にも良くある事だ。自分の努力が人目に
つかない時、意味がないように感じるかもしれない。
主の宮の基礎工事の時、基礎はきつい仕事で、先を
見る信仰が必要だった。ゼルバベルの仕事が無意味
だと考える人がいたので、神は小さな事ではないと
励ました。神は彼らに石に石を重ね続ケゼルバベル
の模範したがって欲しかった。
自分の力ではなく、御霊の力によって成し遂げられ
なければならなかった。あなたは小さな者に見えるか。
神のための小さな事を大きく用いてくださるのだ。
あなたの召された働きの場は小さく見えるか。
その中に神がおられれば大きい。露のしずくも、雷鳴
と同様、神の働きをする。