2004年06月26日(土)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29:11)

ある婦人に娘がいた。優等生で、成績も良く、何の問題も無いまま、言う事をよく聞く良い子で育ってきた。それが成長した頃になって、異変が現れて来た。何か起こると感情のコントロールがきかず、怒り狂ったようになりわめき散らし暴走し、暴力も振るった。どうにもならず精神科に入退院を繰り返した。その中で統合失調症である事が判明した。優等生であった娘の将来への期待、希望がすべてくつがえされた。夫婦は祈りに祈ってこの現実を受け止め、受け入れようとした。尚も祈り、逃げないで目をそらさないでしっかりと受け止めた。一つ一つの目の前の導きを神に頼った。受け入れた時、不思議な平安が来た。主が共におられる事を感じ、大変な状況に関わらず、心に喜びが湧いた。主の平安に支えられ、歩み始めることができた。受け入れる事が鍵だ。
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受け入れ難い事を受け入れる事が、どんなに死闘か経験する。受け入れるとは、自分に死ぬ事だ。どんな悲惨な状況の中でも、御手をしっかり受け入れる時、平安と共に幸福感がある事も経験する。又、様々な人の人生にそれを見る。神様に全面降伏する事が平安の道だ。