2004年08月27日(金)

『人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」』(創世記3:12)



 神が罪を犯したアダムに悔い改めの機会を下さったのに、自らの罪を認めずエバに責任転嫁した有名な箇所だ。姦淫と殺人の大罪を犯したダビデが罪を認めたように、罪に勝利するには自分の責任を認める事だ。これが大変に困難だ。だから、罪を犯した時、アダムのように人のせいにする。他人のせいにし、環境が悪いと環境のせいにし、神のせいにまでする。責任転嫁している限り罪に対して打ち勝てない。罪を犯すのは自分の欲に引かれ、おびき寄せられ、誘惑されるからとヤコブは言う。自分の肉欲が原因だ。自分を正当化せず、言い訳せず、自分の罪を認めよう。その時「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」との御声を聞く。罪は赦される。
------------------
いい訳、言い逃れをしているとせっかく示されている罪を温存してしまう。そして同じ罪を繰り返す。気づける事が感謝、教えられる人が感謝だ。責任転嫁で成長の芽をつまぬよう。