2005年03月27日(日) 「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか・・がわかります」(ヨハネ7:17)
「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか・・がわかります」(ヨハネ7:17)
神がわかるのは、みこころを行って行くから だ。神に従う事をせず、聖書を知ろうとして も、真にみことばはわからない。実際に従っ て行く時、神を経験する。これは態度の問題 だ。神の御前で従順であれば、あるほど神を 知る者とされて行く。みこころを行うために は、自分に死ななければならないからだ。へ りくだらなければならない。従って行く時、 自我が砕かれて行く。ある人は争いを生じた 相手と和解するよう示された。相手も悪い、 こちらから行動するのはプライドが許さない。 しかし、自らへりくだって従った時、相手と の関係が正され、満ち溢れる喜びと大海のご とき平安を味わった。神に触れた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今までの歩みを振り返ってもよくわかるに違 いない。神を経験するのは、従って行った時 だ。従わない限り、何も変わらない、わから ない。目の前に示されている事に、勇気を出 して従おう。その事に従わない限り、前に進 まない。