2005年09月25日(日)

「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」(Uコリント12:9)

誰しも最も嫌な事がある。それは自分の
弱さを認める事だ。認めたくないので目を
そらせ、見ないようにし、頭の引き出しに
しまい込み、ふたをしている。自分の無能
を認めるのはプライドで膨れた自我には
痛い事だ。パウロは肉体のとげに苦しん
だ。その苦しみを取り去って欲しいと心底
祈った。しかし、神の答えは「ノー」だった。
それがある方がもっと神に仕える事がで
きると。神の見方と私達の見方は全く違う。
世の価値観は強さは「良」弱さは「マイナ
ス」と考える。しかし、神は正反対だ。自ら
の弱さを認める人に恵みがおおい、空っ
ぽの何も無い器を満たされるのだ。この
世では絶対に考えられない。神の愛、恵
み、あわれみだ。弱さこそが感謝で恵み。
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弱いまま、醜いまま、何もできないままを
受け入れて、愛して下さるとは何という恵み
だろう。人間の価値観とまるで正反対なの
で理解できない。御言葉の通りそのままを
心に受け入れ取るなら、喜びで溢れる。