2006年09月26日(火) 「私たちはただちにマケドニヤにへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」使徒16:18
「私たちはただちにマケドニヤにへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである」使徒16:18
アジアで宣教する事を聖霊に禁じら れ、トロアスに来た時、パウロがマ ケドニア人の幻を見た。その時、今 までの様々な状況をよく見て、判断 し、よく考え、よく祈って、結論を 下したのだ。それは神がマケドニヤ へ導いておられるという事だ。 それははっきりと「確信」に至った。 「私たちは」とあるように、パウロ とパウロの同行者も、皆で一致して、 起こった状況を見て、判断して、祈 り、平安もって至った結論だ。 「確信した」。私達もここで学ぶ事 が出来る。日常生活で、みこころを 求める時に、環境、状況、起こる出 来事をよく見て、祈りと御言葉の中 で、よく考え、判断する時に「確信 した」、はっきり確信に導かれると いう事だ。あなたは今、目の前の事 態をどうすればよいか迷っているか。 どうしてよいかわからないでいるか。 神は必ず「確信」を与え、「確信し て」行動できるようにして下さる。 状況、起こる出来事、祈りと御言葉、 それらを総合し、よく考えて行く時 に、正しい判断に必ず導かれる。 平安を持って「確信して」進んで 行ける。 -------------------- 環境を通し、み言葉を通し、また心 の平安を通し神様は御旨を示して下 さる。迷いがあるなら導きを求めて 祈ろう。時間がかかっても必ず神様 は確信を与えて下さる。