2006年10月27日(金) 「なぜあなたは、兄弟の目のちりを目につけるが、自分の目の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3
「なぜあなたは、兄弟の目のちりを目につけるが、自分の目の梁には気がつかないのですか」マタイ7:3
「梁」とは屋根を支えるために、 柱と柱の間に渡した横木だ。 大きな丸太だ。「ちり」は目に すら見えないほどの小さなもの だ。他人の小さなちりは見える が、自分の目にある丸太は見え ない。なぜあの大きな丸太が見 えないのか不思議だが、自分中 心に自分の色メガネをかけた判 断をしているからだ。自分の都 合の良い善悪の判断だ。 アダムとエバが善悪の知識の木 の実を食べた時から、人は自分 で善悪を判断するようになった。 自分の目が曇っていたら、自分 の目に偏見があれば、その目で 見るものは歪んで見える。 人はさばきまくり、自分はどん どん正当化して行く。人には厳 しく、自分には寛容、善悪の物 差しが自己中心なのだ。自己中 心の物差しは暗闇の中だ。 御言葉が正しい物差しだ。御言 葉の鏡に絶えず自分が照らされ、 正されて行く時、兄弟のちりを 取る事が出来る。 ---------------------- 基準はみ言葉だ。私達は弱く基 準がすぐにぶれてしまい自己満 足してしまう。まず自分をよく 吟味して、自分の目にあるちり を示され続けますように。