2007年01月27日(土)

「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち」ルカ24:25                       

エマオ途上の二人の弟子に、主が寄
り添い歩まれた。郷里へ帰ろうとす
る弟子達だ。なぜ帰るのか。死人の
よみがえりなど信じられないからだ。
主は捕まり裁判にかけられ、鞭打た
れ、十字架の上で亡くなった。兵士
がわき腹に槍を刺した時、血と水が
吹き出た。完全に亡くなった証拠だ。
なぜ、主がわからないのか。目がさ
えぎられていたからだ。なぜさえぎ
られていたのか。それは不信仰ゆえ
と記されている。よみがえりなどと
荒唐無稽な話、信じられないのだ。
横におられる主が、信仰が無いから
見えない。わからない。私達も同様
だ。不信仰ゆえ主が見えない。日々
の一歩一歩の歩みを支配し、今日も
導いておられるのに、主が見えない。
信仰の目でもってして、初めて見え
る。今日も主の愛とご配慮が満ちて
いる。主は聖書を解き明かされた。
「文字は殺し、御霊は生かす」。主
ご自身の解き明かしにより、言葉に
いのちが宿る。御言葉が心に臨み、
信仰の目が開かれる。御言葉を大切
に、御言葉を受け取ろう。
・・・・・・・・・
主が今日も御言葉を語りつつ、かた
わらを歩いていて下さる。何と嬉し
く心強い事だろう。聞く耳を持つな
ら心の目を開いてわからせて下さる。
心の耳で聞いて行こう。