2007年02月23日(金)

「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ」Uサムエル12:14




ダビデは姦淫と殺人の二重の罪
を犯した。ナタンによって罪を
指摘された時に、「私は主に対
して罪を犯した」と罪の告白を
した。その時、即座に「主もま
た、あなたの罪を見過ごしてく
ださった」と罪が赦された。
完全に罪は赦される。罪のとが
めは全く受けない。罪は忘れ去
られ、海の深みに投げ込まれる。
罪の責めは全く負う事がない。
十字架の贖いによる神の恵みだ。
しかし、罪が完全に赦される事
と、罪の結果を刈り取る事は別
の事だ。自分の蒔いたものは必
ず刈り取る。これは法則なので
例外は無い。罪は赦されるが、
罪の結果は自らが負う事になる。
厳粛な事だ。だから、どうせ赦
されるのだからと、恵みを軽ん
じて、決して簡単に罪を犯して
はならない。ダビデに最初に生
まれた子供が病気になった。
ダビデは断食をして、一晩中地
に伏して祈った。しかし、その
子は死んだ。ダビデはそれを受
け入れた。又、息子アブシャロ
ムが謀反を起こし、自分に敵対
した。息子達の間に数々の痛く
辛い出来事が起こったが、主か
らのものと認め、受け入れた。
そこにダビデは神の聖さを見、
そこに神の愛を受け止め、ます
ます練り聖められて行った。蒔
いたものは刈り取るが、そこに
尚も祝福が備えられている。神
のあわれみは尽きない。
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罪は赦されても刈り取りはある。
ダビデのトラブル続きの後の生
涯は凄まじい刈り取りだ。それ
を思うとき、弱い私達であって
も罪の誘惑の前で立ち止る事が
出来ないだろうか。