2007年08月27日(月)

『ヤコブは眠りからさめて「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」と言った』創世記28:16



ヤコブは父と兄をだまし、長子の権
利と祝福を二度までも奪った。兄は
怒り狂い、ヤコブを殺そうとした。
それで、家におれなくなり、叔父の
もとへと逃れた。父をだまし、兄を
激怒させ、家族を失い、今は荒野だ。
家族もバラバラ、どんなに疲れ果て、
憔悴し、ぼろぼろだったろう。孤独
感と空虚感、これから先の不安感、
恐れで一杯だった事だろう。荒野で
日が暮れ、石を枕に野宿した。心細
かった事だろう。その時に夢を見た。
使いが現れ、かたわらに主が立たれ
た。そして「共におり、守り、この
地に連れ戻す」と言われたのだ。ヤ
コブは主の臨在に触れた。主がここ
におられたのに、知らなかったと。
ヤコブは全く予期せぬ事態に驚いた。
一方的に神が現われ、一方的に守る
と言われる。ヤコブは今まで親から
聞いてはいたが、初めて個人的に神
に出会った。私達はどうだろう。親
の信仰か。友人や導き手の傘下の信
仰か、それらは自分の信仰でなく、
人の信仰だ。人に受け入れられ、愛
されているので平安と喜びもある。
しかし、教会では祈るが一人になる
と祈らない。神と個人的関係が無い。
人によらない自分の信仰を確立させ
て下さる。「まことに主がおられる
のに、私は知らなかった」とはっき
り言えるよう、神に求めよう。喜ん
で答えて下さる。
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求めている者にも、いない者にも同
じようにいつも神様は共にいて下さ
っているが神様の恵みと支えの中に
今日も生きている事を感謝しながら
歩む者の歩みは大きく違う。今日も
与えられた場所で感謝して歩もう。