2007年10月27日(土)

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」マタイ6:1

主は山上の垂訓で、人前で善行をす
るな、右手のしている事を左手に知
られるな、と言われた。施しが隠れ
ているように、自分の善行を人に知
らせてはならないと。しかし、同時
に、あなたの光を人々の前で輝かせ、
人々があなたの良い行ないを見て、
天におられる父を崇めるようにせよ、
とも言われた。人前で良い行ないを
見せるようにと。これはどう違うの
か。これは動機の問題で、動機がど
うかだ。自分が賞賛を受け、自分を
崇め喜ばせるためにしているのか、
それとも神のために、神を喜ばせよ
うとしているのかだ。自分の賞賛の
ためにする善は偽善だ。パリサイ人
の善行がそうだった。人の前で自
分を正しいとする事であり、人の間
で崇められる者は、神の前で憎まれ、
嫌われると主が言われた。人前でな
く、神の御前で生きる事、人の目で
なく、神の目を意識して生きる事が
言われている。誰しも皆、人前で体
裁を繕い、人の目を気にし、人に良
く思われたいと思っている。目に見
えない神よりも、目に見える人前で
生きてしまう。目に見える世界の方
が大切であり重要であり、神を無視
してしまう。サタンの誘惑だ。目に
見えない神の御前で生きて行くこと
は、まさに信仰によるのであり、御
霊の助けと導きによる。神に自分を
明け渡して行く時、まず神に喜ばれ
る生き方を「願う」ように変えられる。
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私達の底の価値観が探られる。目に
見える世界で良く見られたい時、神
を捨てている。神を無視し、自分の
欲を選択している。信仰とはその狭
間で神を選択して生きる事だ。