2008年01月27日(日)

『イエスは「わたしにさわったのは、だれですか」と言われた』ルカ8:45

この女性は12年間も出血が止まらない
状態で、どんなにか苦痛と辛さの中に
あった事だろう。律法によると不浄と
の事で、礼拝にも出れず、宗教的にも
社会的にも疎外されていた。経済的に
も治療に財産を使い果たし、良くなる
どころか、ますます悪くなり無一文と
なり、これから先どうすればよいのか、
何の望みもなく、心身もう限界で、ぼ
ろぼろであったろう。わらにもすがり
たいように、救いを求めていたに違い
ない。そんな時、主の噂を聞き、せめ
て主の着物にでも触れば必ず直ると思
った。必死であった。触った時、血の
源が枯れて、ひどい痛みが直った事を
感じた。誰にも知られずに、隠れてそ
っとその場を去りたかったが、主が
「触ったのは誰か」と問われた。後方
で群衆に紛れ潜んでいたが、隠しきれ
ないと思い、震えながら進み出た。
「イエスの前に出」たのだ。どんなに
か勇気の要った事だろう。「すべての
民の前で」イエスに触った理由と、癒
された次第を話した。自分を卑しめ、
こそこそと暗さの中に隠れていたのが、
主に導かれて、従う事により光の中へ
と入れられた。あるがままを告白でき
た。主は「あなたの信仰が」と信仰を
認め「安心して行きなさい」と、もう
恐れも不安も怯える事もない、全き平
安を下さった。身体だけでなく、心も
癒され全人格的救いを下さった。告白
は彼女自身のためであった。あなたに
も、告白を求めておられるだろうか。
光の中へと招くために。
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隠しおおしておきたい、陰に押し込め
ていたい、誰にも知られたくない、
その事を神は光の中に、明るみに出さ
れる。実は私達自身の癒しのためだ。自
らの状態を主の前に認めて行く時に、全
面的に癒される。