2008年02月25日(月)

「神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです」Tペテロ5:6

招かれた人々が上座を選んでいるのを、
主が見られた。もし身分の高い人が来
たら、座を譲らねばならず、恥をかく
ので、末席に着くように言われた。自
分を高くする者は低くされ、自分を低
くする者は高くされるからと。まさか
宴会で、自ら上座に着く事は誰もしな
い。誰しも一見謙遜に、下の方でうろ
うろし、譲り合うだろう。しかし、も
し自ら進んで上座に座る人がいたらど
うか。内心批判し、何と高慢なと、さ
ばく事だろう。それをさばくという事
は、自分にも上座に座りたい、人の上
に立ちたい、人から認められ、評価さ
れたいとの思いがあるからだ。スト
レートに上座を選ぶのは、まだ自他共
にわかりやすい。自分もよく認識でき
る。しかし、外側に決して表れない隠
れた思いは、自分でも気づかない。一
見、謙遜の裏に隠れた高ぶりがあった
りする。パリサイ人と取税人の宮での
祈りの箇所で、パリサイ的祈りが露呈
されている。それゆえ、私は取税人の
ようではない事を感謝しますと、祈る
人はいない。皆、パリサイ人は何と高
慢な、と思っている。しかし、今度は、
私はこのパリサイ人のようでない事を
感謝しますと、心密かに思っている。
それなら、パリサイ人と全く同じだ。
高ぶる者である事を、認めることがへ
りくだる事だ。自分の内側に潜んだも
のを、認めて、悔い改めて、悔い改め
て歩もう。へりくだる者を、主が高く
して下さる。祝福が溢れ臨む。
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人にはすぐわかるのに、自分で気づか
ないのが高ぶりだ。すぐに傲慢になる
者だと、いつも自分の心の状態を吟味
して、内側に潜んだへりくだれない心
を認めて行こう。