2008年04月24日(木)

「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。この人の両親ですか」ヨハネ9:2

当時は迷信により、病気や障がいは、
何かの罪の結果と考えられていた。何
か原因があり、罪を犯しているから。
それが一般的であった。しかし、これ
は、今、現代でもだ。病気やけが、失
業、倒産、悪い事が続くと、何かのた
たりではと、お払いして貰い、偶像を
拝む。理由が知りたい、説明が欲しい。
つまりは「何で盲目なのか、納得行く
説明を」と言っていることだ。人生に
起こる事の解答が欲しい。先祖の罪、
本人の罪と答えを得るなら、その罪の
結果と納得が行く。答えがわかれば対
応もできる。しかし、主は「神のみわ
ざが現れるため」と答えられた。因果
応報の単純な原因と結果でなく、全く
別の領域、人間には測り知れない、人
間を越えた神の領域というものがある
と。人間には理解を超えていて、わか
らなくても、納得行かなくても、確か
に神の栄光が現されるのだと。人は何
か起こると「なぜ、なぜ」と問い、
「なぜ?」が知りたい。しかし、神は
「〜ため」と答えられた。つまり、こ
の事態は「何のため?」との問いには
答えて下さるわけだ。「なぜ?」と問
う。しかし、全く答えが来ないのは、
今までの信仰生活でも経験するところ
だ。「何を教えようとされているの
か」を問おう。そして万事が、ご計画
の内であり、益とされることを信じよ
う。
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納得のいかない理不尽な問題に直面す
る時、怒り、傷つき落ち込む。しかし
それは神様のご支配の中での事と覚え
よう。どのような結果でも必ず神様の
ご栄光が現れる。「なぜ」は自分にで
はなく神様に尋ねて行こう。