2008年06月26日(木)

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神」Tテモテ6:17

神は私たちが日々を楽しみ、人生
を楽しむことを願っておられる。
神が創造したものを楽しみ喜べと
言われる。私たちにすべてのもの
を豊かに与えて楽しませたいとの
お心だ。私たちに喜びを下さる。
神は気前のよい方だ。放蕩息子が
我に返った時「父のところには、
パンのあり余っている雇い人が大
ぜいいるではないか」と思い出し
た。雇い人にさえ、パンをあり余
るほどに与える良い父、気前のよ
い父、あわれみ深い父だ。溢れる
ばかりに祝福して下さる方だ。良
い父であるので、彼は帰ることが
できた。悔い改めれば、雇い人に
でもして貰えるかも知れないと思
えた。帰るや、遠くから見つられ
け、抱かれ、責められず、さばか
れず、受け入れられた。更に大祝
宴にあずかり、溢れるばかりの祝
福を受けた。御父は良い方、溢れ
るばかり豊かに与えて下さる方だ。
一方、兄息子は、好き勝手し放題、
放蕩三昧した弟のために宴会とは
怒り爆発だ。父親像が間違ってい
た。常に要求され、絞り取られる、
戒めを守らなければ叱られる、厳
しい、恐い父像だった。私たちは
どうだろう。頭では愛なる、慈し
み深い御父と理解しているが、心
で信じているだろうか。信じてい
なかったりする。実は「蒔かない
所から刈り取り、散らさない所か
ら集めるひどい方」、恐いから従
っているのだろうか。頭と心はし
ばしば違う。内側照らされ、御霊
に正しく導いて頂こう。
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この兄のように「私ものは全てお
前のものだ」と言っている御父の
本当の姿を私達も知らないだろう
か。救いの幸いも、溢れる日々の
恵みにも感謝でない信仰生活は間
違っている。