2009年01月26日(月)

「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた」ルカ24:15



「二人でこの出来事について話し合っていた」主の十字架、その死、主の生涯について話していた。

何がどうなったのか、主はローマ帝国をくつがえして、王国を建てるはずではなかったか、「この方こそイスラエルを贖ってくださるはずと、望みを」かけていた。

この世界を政治的に解放する指導者だと。それが無残な死、そして、自分たちも主を捨てて逃げてしまった。何をどうすればよいのか。

ここにはもうおれない。今なお気持ちの整理もつかぬまま、挫折感、悲しみ、絶望、意気消沈で郷里に向かっていた。

そして、遺体が無くなり、御使いがイエスは生きていると告げたと、復活の証言も聞いているのに、「ふたりは暗い顔つき」だった。

復活を信じることができない。主が、罪と死に勝利して復活されたにかかわらず、信じないので「暗い顔つき」のままだ。その二人が変化したのは
、かたわらを歩む人が、御言葉をどんどん解き明かしてくれた事だった。

耳を傾けていると、心がいやされて、暖かく燃えて行った。よみがえりの主が、主の復活を信じられるようにして下さった。

彼らも暗い不信仰の中から、よみがえった。よみがえった彼らは、変えられた。今来た道をすぐさまエルサレムへと引き返した。

不信仰に陥り落胆している時、主が今一度信仰を奮い立たせて下さる。
不信仰を信仰へと変えて下さる。その主が、今、あなたと共に歩まれ、いつもどんな時も、世の終わりまで共におられる。
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私達の心は熱く燃えているだろうか。いつもエマオの途上にあるが、主を求め耳を傾け続けるなら、引き返すことができる。