2009年02月24日(火)

「お話しください。しもべは聞いております」Tサムエル3:10



エリのもとで、養育されていたサムエルに、突然、主からの御声が臨んだ。
エリの指示で「お話しください。しもべは聞いております」と答えた。

すると、その一番初めのメッセージは、エリの家への裁きであった。
「彼の家を永遠にさばく。自分の息子たちが呪いを招くような事をしていながら戒めなかった罪による」と。

自分の師であるエリに伝えるに忍びない、厳しい辛い言葉であった。サムエルはエリに語ることを恐れたが、主の言葉をそのまま伝えた。

預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にそのまま民に語る人のことだ。どんなに痛い言葉であろうと、その通りに語らねばならない。

これから預言者として立てられるサムエルへの最初のテストであったかも知れない。私たちも「しもべは聞いております」、喜んで聞きますと主に向かいつつ、しかし、自らの罪を指し示され、自らの姿を刺し通される痛い言葉、自分の願いと異なる辛い言葉、矯正の厳しい言葉は聞きたくなくて、耳をふさいでしまうだろうか。

痛い言葉こそ恵みの言葉だ。自分が変えられ成長する。主から語り続けて頂くためには、痛い言葉にこそ耳を傾けよう。

「愛している」「共にいる」「願いを聞く」そいういう言葉を聞くときだけが、「恵まれた」と勘違いしていないだろうか。
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整えられた者とされたい、変えられたいとの態度で御言葉にのぞみたい。必ず導いて下さる神様の声をより分けずに受け取って行こう。