2025年06月25日(水)

「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の 中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた」 ルカ24:27



私たちはどうだろう。失望落胆の時は主が見えなくなる。経験ある
だろうか。失望は、悪魔の大変有効な攻撃手段だ。エマオへの弟子
たちは、絶望の中にいた。主がローマ帝国を倒して、王国を建てら
れると信じ込んでいた。主が、王となり統治されるのだと。だが現
実は最悪で、最も残酷で惨めな辱めの十字架刑で死んでしまわれた。

自分たちの大きな望み、期待、喜びが無惨に砕け散った。復活は信
じないので、絶望と虚しさで真っ暗だった。信仰の目がふさがれ、
不信仰に陥っていた。私たちも、自分の思いと全然違う現実に出く
わす時、受け入れる事が困難だ。主と自分の間に距離が出来てしま
う。

例えば、職場が困難で苦しく、別の場を求めている時に「忍耐が大
切、訓練であり、今の状況でなければ学べない事がある」と言われ
ても、辛いばかりだ。苦しい経済的困窮の中で、「わたしに頼るこ
とを学ばせるため」と言われるが、必要に迫られる中、厳しいもの
がある。しかし落胆した弟子たちが、心が赤々と燃やされ、喜びに
溢れたのだ。急転直下、即、もと来た道を引き返した。

なぜ、突然変わったのか。主の語られる言葉だった。解き明かされ
る御言葉に聞き入った時に、「信仰」が復活した。私たちも厳しい
状況の中で、御言葉により救われる。御言葉に一心に耳を傾けよう、
御言葉は霊でありいのちだ。そこに御霊が働かれ、信仰を取り戻さ
せくれ、更に心が熱く燃やされる。
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主の真実なご愛を信じる信仰を保っているなら、どんなことがあっ
ても揺るがない、とわかっていても、現実は弱く簡単に心は鈍くな
る。約束の御言葉をもう一度、聴いてみよう。主が語ってくださる。