2025年05月04日(日)

「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいる なら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての 罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7



よく「他人と過去は変えられない」と言われるが、日常生活の中で、
目の前の事でなく、過去を思い、くよくよする事があるだろうか。
普段は目の前の生活に追われ、忘れているが、何かがあると、
過去のあの失敗、この過失、その傷が思い出されるだろうか。
フラッシュバックし、心が暗く、重苦しくなり、落ち込むだろうか。

すでに主の御前に悔い改めたその事は、主の十字架の血潮に
よって、完全に赦されている。「御子イエスの血はすべての罪か
ら私たちをきよめる」にかかかわらず、又、ほじくり返しては悶
々とする。あの判断ミス、この時の選択の失敗、もしあの時、こ
の時、別の選択をしていたらと。又、逃してしまったチャンスに
くよくよする。

あの時・・、この時・・こうしていたら、今、自分の人生は全く違っ
た結果になっていたのでは・・堂々巡りしては後悔する。しかし、
心の奥にとがめや後悔、不安がある時、前進が出来ない。足を
引っ張られ、感謝と喜びが消されてしまう。過去のその所に主を
認めよう。「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出
すことはしない」と主は宣言されている。

罪は完全に赦され、主が思い出さないと。全き赦しを受け止め、
感謝しよう。くよくよの後悔を、きっぱり赦しの感謝に変えよう。
それが主の喜ばれることだ。主の摂理と御心を認め、信仰もっ
て受け入れよう。受け入れた時、後ろのものを忘れ、前に向か
って、ひたむきに前進して行ける。頭の罪の赦しなら、しっかりと
今一度受け止められるよう祈ろう。

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「罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」「罪を二度と思
い出さない」と主は言われる。自分の記憶に罪はあるが、悔い
改めた罪は、主には真っ白で、二度と思い出されない。主の
視点に絶えず立てるよう祈ろう。