2000年12月25日(月)

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネ1:14)

あるクリスチャン夫妻が仕事の関係で、イスラエルでしばらく暮らしていた。クリスマスを聖地で迎える。それは、心踊る出来事であった。
ベツレヘムで主の生まれられた場所で、クリスマスをお祝い出来るのだ。わくわくしていた。かつて無い初めての経験に、霊的にすばらしいものになると予想していた。こんな巡り合わせに喜んだ。
そして、大きな期待を持って、聖地でのクリスマスイヴを迎えた。
その礼拝体験自体は楽しいものであったが、しかし、失望した。がっかりした。母国で与えられた霊的ビジョンに優るものではなかった。
そして、気づいた。建物や場所、備品、土地の問題ではない事を。
墓からよみがえられたお方が、そんなものに制約されない事を。逆に、
いつでも、どこでも、信じる者と共にいて下さる事に目が開かれたのであった。
いつでも、どこでも、神が共におられる。そこは聖なる場所なのだ。
飼い葉桶を宿とされた方は、今、私達を住まいとされる。