2009年03月26日(木) 「お前の弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ」創世記27:35
「お前の弟が来て、だましたのだ。そしておまえの祝福を横取りしてしまったのだ」創世記27:35
イサクは長男エサウに祝福を与えようと、獲物の料理を持って来るようにと言った。 それを聞いた母リベカは弟ヤコブにその祝福をと、視力の衰えているイサクをだました。 イサクはエサウだと思い込み祝福を与えた。そこにエサウが戻り、事の次第を知った。 イサクは激しく身震いし、エサウは大声で泣き叫んだ。 企みを知ったエサウは怒りでヤコブを殺そうとした。それで家におれず、逃亡し叔父の所へ身を寄せるはめになった。 家族が傷つけ合い、バラバラで、皆が不幸だ。どこに問題があったのか。 イサクは「兄が弟に仕える」との神の御心が示されているに関わらず、自らの肉の思いでエサウを偏愛した。 リベカもヤコブを溺愛し、神を信じ、神の主権のもと、神がされる事を待ち望むのでなく、肉で狡猾に画策し祝福を奪った。 ヤコブも神の計画を信じ、委ねるのでなく、父をだまし、自力で奪い取った。 エサウは長子の権利を豆の煮物と引き換えた。 「長子の権利を売った俗悪な者」彼は長子の権利を軽んじた。皆が神を仰ぎ、神に従うのではなく、自己中心に、肉の思いで動き、招いた結果だ。 親子、夫婦、兄弟関係、皆に亀裂が入り、ぐちゃぐちゃだ。神は大きなご計画の中で、これらすべてを益として行って下さったが、しかし、ここで学べる。 肉で、自分の思いで動くのでなく、神の主権を認めて、神を待ち望み、委ねて歩む事がいかに祝福であり、大切かを。 ------------------------ 自分の思いで現状を見て行く時、恐れと不安で一杯になる。神様がして下さる・・の視点に立てますように。起こることの中に神様を見つめて歩めますように。