2009年06月25日(木)

「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません・・赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」ルカ6:37



ある著者が「赦さないなら、あなたはまだその人から何かを求めているのであって、あなたはその人に永久に縛られてしまう」と言ったが、赦す事を拒むことは、相手に求め続けることになり、一生涯、その相手に自分の人生がコントロールされる事になる。

相手を憎むなら、憎悪の奴隷となり、結局、相手に支配され続けることになる。苦しいのは相手でなく、ただただ自分だ。相手は苦しくも何ともない。一人相撲であり、暗闇の中だ。

「赦しなさい」は相手のためでなく、自分のためだ。自分を縄目から解くことになる。赦さない心は、相手でなく、自分を縄目の中にがんじがらめにする。

ある人が、もう、他人にコントロールされる一生を生きたくないと決心した。赦しを意志で選択した。主の前に静まり、今、憎んでいる人、赦せない人、又、今までに嫌な思いをさせられた人、傷つけられた人々・・具体的に一人一人「赦します」と祈って行った。

その時「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」を、身をもって体験した。人を赦そうとする事によって、自分自身が、神から完全に赦されていること、受け入れられていること、深く愛されていることを知った。

大きな平安に包まれた。人を赦すから、自分が赦されている事を知る一瞬であった。人を赦さないなら、自分が赦されていることが、どうしてわかるだろう。
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人を憎んでいる間中、私達は囚われている。そこから解放されるために、赦せるよう意志を向け祈っていこう。そして自分がどれほど赦されている者かを感謝してみよう。