2009年08月26日(水)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1 


                       
アブラハムは75才の時に、約束を受け取った。しかし、それが実現したのは100才の時だった。25年間待ち望んだ。神のお言葉の通り、サラは男の子を産んだ。
アブラハムは、前もって神に命じられていたようにイサク(笑う)と名づけた。

以前、神から男の子を授けると告げられた時、アブラハムとサラは笑った。
あり得ないとの不信仰の笑いだった。しかし、今は違う。心底からの喜びであり、笑いだった。今まで子供が与えられない事で、悩み、悲しみ、苦しんだ。
そのアブラハムとサラは、大きな喜びに満たされた。

この時こそが、神の時であった。すべてのわざには時がある。自分の良かれと思う時と、神の御心の時とはズレがある。妊娠可能な年齢であれば、神の奇跡ではなく、当然であり、自分の力であり、神への感謝は薄いだろう。
神の定められた時にこそ、神の栄光が現される。

あなたのまだ答えの無い祈りも、神は定められた時を備えておられる。その時こそ、「美しい」神の時であり、神の栄光が現われる時だ。失望せず、祈り続けよう。答えを手にする、神の時がある。

神を待つことにより、訓練される。忍耐が養われ、多くの学びを得る。
あなたの確信を捨てず、神を待ち望もう。「もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れる事はない」。
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神様の時は、確かにあるがわからない。あそこまで祈れば、ここまで行けばとの目に見える約束があればどんなに安心だろう。信仰を持って待とう。これが神様の時だったのだと神様の栄光を拝する時が必ず来る。