2009年11月25日(水)

「わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます」ヨハネ14:27


完璧主義の人がいる。とにかく物事を完璧にしないと気が済まない。真面目で几帳面で、努力家で、一生懸命に見える。が、その実、その人の心に平安が無い事の表われである場合がある。いつも心に安堵感、安らぎが無い。

だからこそ、安堵感を得ようと、完璧を求める。何かに一生懸命になる。行動する事によって、充足感を得て、心の空いた部分を満たそうとする。外側から見るとわからないので、仕事に、奉仕に一生懸命のように見える。が、実は内側が満たされていない。

それで、又、自分がしんどいのに、頑張っているものだから、周囲の人をさばく事になる。もしあなたが周囲をさばいているなら、要注意だ。他の人より熱心だからでなく、真の平安が無いからだ。主は本当の平安を与えて下さる。

ベストを尽くすが、もし結果が完璧にできなくても、主に委ねる事ができる。そして安んじている事ができる。いつもどんな時も、結果を委ねて平安でおれる。

自分に満たしが無い事を気づく事は幸いだ。主があなたの空虚を満たして下さる。寸暇を惜しんで、動き回る事で満たされるのではなく、あくまでも、主にとどまる事によって満たされる。行ないで満たそうとせず、まず、自分のありのままの状態を主に告げよう。それが始まりであり、まず主とよく交わろう。
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たましいの渇き、虚しさは自分ではどうする事も出来ない。私達は神に似た者として造られたからだ。物や仕事、人によっては埋まらない満たされない心を生き返らせてくださるのは神様だけだ。