2009年12月26日(土)

「どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11


「求めよ。そうすれば与えられる」の御言葉通り、親である御父は、子供に与えたいと思っておられる。何でも求めたらよい。しかし、神は「自分の子供に良い物を与える」「求める者たちに良い物を」と、「良い物」を下さると記されている。

自分が祈ったものがそのまま与えられるのでなく、「良い物」と言われる。願った物そのままかも知れないし、そうでないかも知れない。とにかく私たちにとって「良い物」なのだ。

願った通りに与えられないと失望落胆しているなら、祈りの答えを見直してみよう。気づかないで、違う形で答えられているかも知れない。1才児が母親が使っている包丁をねだっても、親は絶対に与えない。又、子供が桁違いの高価な物をねだったとしたら、もっと大きくなってから与えるだろう。

持つにふさわしい「時」がある。又、我慢や忍耐する事を学ばせたり、その子のために教育的配慮から控える場合もある。自分はこれが最善、最適、最も必要と思うが、神は完全にふさわしく与えて下さる。

自分の願いとは異なる物が来るかも知れないが、それは「良い物」なのだ。その時は理解できなくても、後に必ず豊かな実を見る。時に「良い物」が自分の思いと違うことを心得ていよう。そしてそこに神のお心を見い出す時、喜びが来て、
得心する。
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様々なものが目の前に来る。自分の思い通りであったり、全く思い通りで無かったり、自分視点で見るとネガティブなものだが、神様視点で見ると、良いもの、最善のものだ。神様視点に立ち続けると、どんな状況であれ、心に平安が臨む。