2010年05月26日(水)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ・・実を結ぶ人たちです」マルコ4:20



種は御言葉で、土地は私たちの心だ。同じように神の言葉を聞いて、全く益を受けない人々がいる。心の問題だと御言葉は言う。右から左に抜けて行くように、心に留めないで聞く。特に関心も持たないまま。自分とは無関係だと思っている。傍観者的に聞く。悪魔が種を奪って行くので、何も聞かなかったのと同じだ。

心に何の痕跡も残さない。又、岩地に落ちるとは、感情的に聞き、深く感動し、涙を流し聞く。しかし、心の中には、強固な自我という岩が邪魔をし、根ざして行けない。それで、信仰ゆえの迫害や、試練が来るとすぐに枯れてしまう。御言葉を涙して聞くだけでは、根ざす事ができない。語られた御言葉に従う事が大事
だ。

いばらは、御言葉を塞いでしまう。せっかく伸びようとする芽を、塞いで枯らしてしまう。世の楽しみ、様々な計画は、せっかく芽生えた信仰を塞いでしまう。心にしっかり握っているもの、心で愛する偶像は、神から私たちを離してしまう。自分は大丈夫と思っているが、本末転倒になり、いつしか一番大切なものを見失って行く。

信仰を保ちたければ、自らの状態をよく点検する事が重要だ。逆に言えば、信仰生活で「実を結」んでいるなら、御言葉を正しく聞いたという事になる。悔い改め、信仰、愛、喜び、平安・・御霊の実だ。
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聞いた御言葉、与えられた御言葉を自分のものとして持ち続け、信仰に結び付けて従って行こう。そうする時、御言葉はいのちとなり力となって実を結んでいく。自分も変わっていける。御言葉を人事のように流してしまっていないだろうか。