2010年06月25日(金)

「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」イザヤ55:9

「求めなさい」と神は言われ、そうするなら答えられ、喜びが満ちると。祈りは、
神が喜ばれる事だ。祈りは聞かれる。御心なら願った通りに叶えられ、又、ある
時は、願ったそのままでは無い、違った形で答えが来る。

間違ってはいけないのは、祈りとは、お金を入れると、欲しい飲み物が出てくる
自動販売機ではない、自分の欲望充足の手段ではない。自分の期待通りの答えと
は限らず、むしろ、思いに反した答えが来る事がある。

楽しい、喜びでわくわくするものを期待していたのに、痛い、辛い、苦しい試み
が臨む。「なぜ?どうして?」と戸惑い、混乱する。「私だけが何と不幸」と自
分は可哀相の、自己憐憫に陥る。

しかし、御言葉は「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものでは
ない」と言う。サタンの罠に陥ってはならない。その苦しみは、必ず大きな祝福
と益を刈り取る。あなたを大きく成長させてくれる。

その試練は、確かに、祝福を求めた祈りの答えだ。今は苦しくても、結果的に、
必ず「良かった」と言える。よく、痛み、苦しみに会うと、負の要素のものは災
いであり、神に愛されていないと勘違いする。

が、そうでない。ほんわかと心地良く、喜び溢れ、わくわく感があると、愛され
ていると思うが、「主はその愛する者を懲らしめ」とある。懲らしめは、神の愛
であり、試練には、そこに神の愛がある。

自分の思いでなく、神の価値観に立って、御言葉に立って、試練を受け入れる時
に初めて、今まで全然見えなかった、御心が見えて来る。

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時に、自分の思いと全く違う道に導かれる。しかし、神のみ思いは、自分の思い
よりも、遙かに高い事を覚えよう。自我は強く、自分の思い以外はなかなか認め
ようとしない。自分の都合の良い道でなく、自分への最善が用意されている。何
と感謝だろう。