2010年09月25日(土)

「いちじくの木は花を咲かせず・・羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力」ハバクク3:18



ラッキーな事、ハピーな時は誰でも喜べる。受験合格や昇進や仕事の成功、しか
し、ハバククが喜んだのは、実りなく、何の収穫も無い、完全な絶望状態の時で
あった。ぶどうの木もオリーブ木も実がなく、畑は不作で、家畜も絶えてしまっ
た。

見える所暗黒、お先も真っ暗だ。こんな中で、なぜ喜べたのか。「主にあって」
「救いの神にあって」が鍵であり、環境、状況で喜んだのでなく、「神にあっ
て」喜んだのだ。私達も、現状が真っ暗であり、先も真っ暗であったとしても、
同じように喜べる。

神に焦点を当て続けるのだ。その時、どんな暗黒の中でも喜べる。神はどんなお
方か、しっかり考えよう。この事態は益とされ(ローマ8:28)平安と将来と
希望の計画があり(エレミヤ29:11)主は、状況をご存じで、すでにしよう
としている事をご存じだ(ヨハネ6:6)その通りに事は進んでいる。ご自分の
御子をさえ下さったお方が(ローマ8:32)良くして下さらないわけがない。

状況を信じるのでなく、神を信じるのだ。御言葉と状況がいつも目の前にある。
それらは正反対だ。その時、どちらを信じ、選択するのかが常に問われている。
目に見えるところでなく、御言葉が真実であり、御言葉に目を向け、そちらを選
択し、信じて行こう。その時、御霊の喜びに満たされる。

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ハバククの状況は、周囲真っ暗闇、絶望的だった。しかし、喜べた。私の喜びは
状況から来るのではない。私の救いの神から来る。状況に依存しているのではな
い。何と幸いな人生だろう。どんな中でも、状況でなく、救いの神を見続けてい
よう。