2011年02月23日(水)

「あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」創世記28:15


策略を用い、父と兄を欺いて、祝福を奪い取ったヤコブ。怒りに燃えた兄はヤコブを殺そうとする。身に危険が及び、母親が、ヤコブを叔父ラバンのもとへ送り出した。家族を離れ、追われるように遠くへ旅立った。夕暮れになり野宿だ。何も無い荒野で一人ぼっちだ。どんなに孤独で、寂しく、又、不安で、恐れで一杯
だった事だろう。先を考えても思い煩いばかりだ。

その時、主が立たれた。主はヤコブを責めず、非難もされない。アブラハムと同じ約束が語られた。「この地を子孫に与え、子孫は・・祝福される」と。そして「わたしはあなたと共にあり、この地に連れ戻す」「約束した事を成し遂げる」と。狡猾で自我が強いヤコブは、更に策略家のラバンのもとで、苦しい辛い訓練を受ける。神の配剤だ。

父と兄をだましたヤコブは、ラバンにだまされる。神は侮られる方ではない、蒔いたものを必ず刈り取る。しかし、尚もそんな中でも、自らの所有物を増やし続け、決して負けていないヤコブだ。神はそんなヤコブを知り、選ばれ、愛された。
愛するがゆえにヤコブを放さず、握り、取り扱われる。

主の約束通り、この地に連れ戻された時には、ヤコブは砕かれた別人だった。見事に造り変えられた。「神は成し遂げられる」。「わたしはあなたとともにおり」神は握った手を決して放されず、あなたをキリストに似たものに、主の器に造り変えられる。どんな中にいても、主にある希望がある。
------------
神様が私達を選んで下さった。自己中心で自我の塊であっても神様が愛し取り扱い必ず整えて下さる。失敗しても意欲が全くなえてしまう時も私達はなお神様の豊かなご計画の途上だ。