2011年10月26日(水)

「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです」ピリピ2:16   

 
                   
私達は、ほとんど皆、無名の、普通の人間だ。有名人ではない。しかし、毎日の同じ事の繰り返しの中で、単調な同じ仕事の中で、信仰を実践して行く事ができる。そしてその中で、主の栄光を現わす者とされる。私たちの日々は、平凡であり、同じ事を繰り返す。サラリーマンは毎日、同じ駅まで歩き、同じ電車に乗り、会社へ出勤し同じ仕事をする。学生も同様であり、主婦も毎日掃除し、洗濯し、食事作りをする。

しかし、その繰り返しの中で、いのちの御言葉をしっかり握って、日々主と共に生きるなら、必ず周囲にキリストを現して行く事ができる。光を放って行く。あなたの置かれている場が、どんなに目立たない場所でも問題ない。仕事がどんな種類であれ、それも問題ない。今いる場所で、御言葉に忠実に従って行くなら、あなたが自分で輝くのでなく、「主が」あなたを輝かせられる。

又、その場がどんなに問題が多く、暗くても問題ない。暗ければ暗いほど、光は明るく輝く。環境の問題ではない。神がそこにあなたを置かれた。信仰とは、神の御心はいつも善いものであり、私たちにとって最善であると信じきることだ。目の前に起きる事が、見た目には苦しい事態、悲しい事、理解できない事であっても、神が善をして下さっており、背後の御手を信じることだ。その時に、その信仰は、必ずあなたを輝かせて行く。
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まわりの状況や目の前の人間関係に反応してしまうが、それでもいのちの御言葉に導かれ動いて行くなら変わらない光となって輝く。御言葉を蓄え、よく準備し十分に整えられて世に出て行きたい。