2011年12月24日(土)

「御使いは・・マリヤに言った『おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにお られます』」ルカ1:28



「おめでとう」は「喜びなさい」だ。「喜べ。恵まれた人。主が共におられる」
と。しかし、マリヤは非常に戸惑った。更に御使いは「神から恵みを受けた。み
ごもって、男の子を産む。名をイエスとつけよ」と、救い主誕生を告げた。

マリアは、まだ男の人も知らないのに、どうして、と。マリヤの率直な質問に、
「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおう。それゆえ、生ま
れる者は、聖なる者、神の子と呼ばれる」と答え「聖霊による」と。そして、神
にとって不可能は無いと。

その時、マリヤは「私は主のはしためです。お言葉とおり、この身になりますよ
うに」と、身を献げた。マリヤのこれから先はどうなるだろう。ヨセフはどう思
うのか。聖霊によりみごもったなどと、誰が信じられるだろう。姦淫罪は石打ち
の刑だ。それこそ死刑になるかも知れない。結婚は壊れ、夢見ていた将来の幸せ
は崩れ去ってしまう。

しかし、マリヤは御言葉を受け入れ、従う選択をした。「いと高き方があなたを
おおう」、御霊がマリヤの恐れ、不安や思い煩いをおおい、人々からの中傷や批
判、裁きや誤解から守り、おおうと。「この身になりますように」、私たちも、
私たちの身を献げることができる。

自分の思い通りでなく、思いとは大きく違う歩みかも知れないが、献げた一生は、
真に用いられた、恵まれた一生とされる。主が共におられる、それは、どんな状
況であろうと、御霊の喜びに満ちた歩みとされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・
主に示された御心に、自分自身を明け渡して従う時、聖霊がおおい、すべての行
程を導いて下さる。事は、聖霊による。主の導きは、困難に見えるかも知れない
が、私たちにとっても「恵まれた方、主があなたとともにおられます」であり、
大きな祝福とされる。