2012年05月26日(土)

「主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、 水は甘くなった」 出エジプト15:25  


モーセと民は出エジプトを果たし、シュルの荒野を歩いたが、三日間炎天下で一
滴の水も無かった。民はのどが渇いて死にそうだった。人々の心は、嘆き、絶望
状態にあった。そんな時、マラで水を見つけて、大喜びしたが、何とその水は苦
くて飲めなかった。

それでそこを"マラ=苦いもの"と言った。人々は失望し、愚痴と不平不満で一杯
になり、モーセにつぶやいた。私たちもマラを経験する。順風の中で、突然の困
難、苦しみに遭遇する。失望落胆を経験する。しかし、出エジプトを与えられた
のは主であり、水の無い炎天下を通されたのも主であり、そこに苦い水を置かれ
たのも主だ。

「荒野で歩ませられた全行程」を覚えよと言われ、「あなたを苦しめて、あなた
を試み・・あなたの心の内にあるものを知るため」と。苦しめて、試みておられる
のは主であり、主はマラを通らせられ、普段は見えない心の底にある苦いものを、
あらわにされる。

一本の木によって水は甘くなった。主の十字架によって、その愛と赦しによって、
苦みが甘みに変えられる。心が変えられ、平安にされる。きよめられ、成長が与
えられて行く。その先に、エリム、12の水の泉と70本のなつめやしの木が備
えられていた。主はすべての行程をご計画と配慮をもって、私たちのために備え
られている。

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苦しい状況に遭遇すると、心から苦いものが出て来る。失望落胆、愚痴や不満・・。
主の十字架を見上げよう。この世的な反応、肉の反応をしていても何の平安も喜
びも無い。十字架に主の愛があり、希望があり、平安がある。絶えず十字架に立
ち返ろう。赦しがあり、平安の甘みに変えられる。