2012年10月26日(金)

「何でも神のみこころにかなった願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Tヨハネ5:14  

「求めなさい。そうすれば与えられます」。主は「求めよ」と言っておられる。「与える」からと。自分の必要や、願いを主に祈ればよい。そのようにして、今まで沢山の願いが叶えられて来た。「そうすれば受ける。これはあなたの喜びが満ち満ちたものとなるため」の通り、そこに主との交わりが生じて大きな喜びを与えられて来た。主は、愛していて下さるので、願いを叶えて下さる。

しかし、2歳の子供が、料理するお母さんと同じ包丁を求めたらどうだろう。決して与えない。しかし、遊ぶためのオモチャならどうだろう。親は喜んで与えてやる。ヤコブとヨハネが主のもとに来て「私たちの頼み事をかなえていただきたい」と願った。それは主の栄光の御座で、一人は右に一人は左に座らせて欲しいというものだった。しかしそれは叶えられなかった。

他の弟子たちを出し抜いての求めは、自分の栄光、自分の誉れのためであり、自分の欲望であった。私たちの動機はどうだろう。何でも求めてよいが、それを与えるか、どうかは主の判断にかかっている。主の御心なら与えられるし、御心でないなら、どんなに願っても与えられない。

どうしても欲しいものを祈り求めるが、なかなか答えられない場合は、視点を変えて、主の御心は何ですかと、尋ね求めてみよう。神の御心にかなった祈りは必ず答えられるので、自分の祈りを、御心にかなったものへと、修正して行ける。そしてその祈りは、すでにかなえられたと知る。
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神が与えて下さるのは私達の最善だ。聞かれない祈りを待ちながら主に尋ねてみよう。純粋に神の御心にかなう祈りだろうかと。祈りの中で御心を知り主の最善を受け取ろう。