2012年11月25日(日) 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたに とどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい・・それ がかなえられます」ヨハネ15:7
「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたに とどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい・・それ がかなえられます」ヨハネ15:7
主と共に、主に従って歩む時に、「みことばにとどまる」ことが大 切だ。「みことばは、私の足のともしび」であり、進むべき道を示 してくれる。「あなたに罪を犯さないため、あなたのことばを心に たくわえ」心にたくわえた御言葉は、私たちを罪から守ってくれる。 自分の道をきよく保つには「みことばに従ってそれを守ること」だ。 主はサタンの誘惑に、「・・と書いてある」と御言葉で立ち向かわれ た。サタンは御言葉を前に、退かざるを得なかった。主は勝利され た。 祈りと共に、サタンに対抗するにはどうしても御言葉が必要だ。霊 であり、いのちである御言葉は、御霊の剣だ。「御霊の与える剣で ある、神のことばを受け取りなさい」霊の戦いにおける、強力な武 器であり、敵を刺し貫く。「すべての祈りと願いを用いて、どんな 時にも御霊によって祈れ」。 サタンは、様々な悩みや恐れ、不安、思い煩いで私たちを倒そうと するが、祈りと御言葉が一つになる時、サタンは何も出来ない。又、 私たちの信仰生活の様々な局面において、判断基準は御言葉だろう か。それとも自分の思い、自分の感情、自分の常識だろうか。 それなら自分の利得が必ず底にあり、そこには真の喜びと平安はな い。又、そこには主の栄光、キリストの香りが無い。御言葉がとど まっているなら、そこに御言葉による判断、決定があり、自我が砕 かれ、主の栄光が現されて行く。 ・・・・・・・・・・・ 御言葉と一致した願い、主のみ思いと一致した祈りが叶えられる。 いつも御言葉に触れていなければ、反対方向の願いを求めていて気 づかない。御言葉を聞き続けて行く時、主のみ思いを知る事ができ る。そして祈りは叶えられる。御言葉を大切に聞いて行こう。